カイロプラクティックの歴史
カイロプラクティックはアメリカで100年以上前にD.D.パーマー(D.D.Palmer)により発見された新しい医療でカイロプラクティックという名称は、パーマーの患者であり友人でもあったサムエル・ウィード(Samual H.Weed)によって名づけられました。
D.D.パーマーは9年間、人間の病気の根源を研究していました。D.D.パーマーは雑役夫をしていたハービー・リラード(Harvey Lillard)が、17年間耳が聞こえないことを知り、どうしてその様になったかを聞くと「17年前のある日、窮屈な姿勢で身をかがめた時、 何かが背中を走るような感じがして、それっきり何も聞こえなくなった。」と答えました。
D.D.パーマーはその時の状況に興味を持ち、リラードの脊柱を検査している時、 椎骨に盛り上がり瘤が出来ているのを発見しました。


D.Dパーマーはその椎骨をもとに戻せば聴力が回復するのではないかと考え、 リラードを説得して両手でその椎骨を押し込んだ瞬間、 17年間失われていたリラードの聴力が回復しました。それが1895年9月18日のことであり、世界で最初に カイロプラクティックが誕生した瞬間です。
D.Dパーマーのカイロプラクターとしての人生は18年間と 比較的短いものでありましたが、カイロプラクティックの発展に全てを捧げました。その意志は、息子でもあるB.Jパーマーに引き継がれ、 孫のD.D.パーマー3世の時に科学的に認められ、法制化されました。現在、認可されている18校の専門大学の卒業生は「脊椎の専門家」として 米国では数多くのカイロドクターが誕生しています。